世界遺産;宮島・厳島神社 16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社と構成建物」 日本三景の一つ「厳島」(宮島)は、厳島神社を中心とした島全体をいい、 1996年、世界遺産・文化遺産に登録された。 日本三景は、他に天橋立(京都府宮津市にある砂嘴)と 松島(宮城県松島町を中心とした多島海)があるのは周知であるが、 この二箇所いずれも世界遺産登録に動いたが、 現時点では「厳島神社」以外は登録に至っていない。 日本周遊紀行 日本の世界遺産 旅の記録集 山旅の記録集 世界遺産・日光 |
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主題はブログにリンクします 16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社と構成建物」 客神社祓殿(国宝) 反橋 - 長橋の西方、西廻廊と南の陸地部を結ぶ弧形の橋。擬宝珠に弘治3年(1557年)の銘がある。擬宝珠は古いが、橋板、高欄等の木部は度重なる修理により新材に替わっている 清盛による美の傑作「厳島神社」 清盛の美の傑作は安芸の厳島神社。 そのアイデアといい、美しさといい、まさに日本の宝といえます。 現在、有数の観光地として知られる宮島は日本三景の一つにも数えられ、平成八年には厳島神社が世界遺産に登録されています。 古くは「伊都岐島」と呼ばれ、推古天皇の時代に造られて以来「鎮護国家の祠」「安芸国第一の霊社」として多くの人々の尊崇を受けてきました 。平家一門と厳島神社との関係は、清盛が安芸守だった頃からだと言われています。 平家物語には、清盛が勅命で高野山の大塔を修理した際、老僧が現れて「荒れ果てた厳島を修理して下されば、官位は肩を並べる人がないまでになります」と告げたので、清盛はこの老僧を弘法大師と信じて厳島の再興に尽力した、と語られています。 仁安二年(1167年)、太政大臣を辞任した清盛は、翌年に出家、風光明媚な福原に別荘を造営しました。 そして、厳島神社の造営も福原の整備とほぼ並行して行われたのです。 清盛は厳島神社の神主で家人でもある佐伯景弘を通して「華麗にして荘厳な社殿の造営」を朝廷に求め、景弘の「安芸の国司の重任の功」によって、それは認められました。 承安四年(1174年)には後白河法皇が、寵姫・滋子とともに参詣しており、高倉天皇も譲位後初めての参詣を厳島で遂げています。 その際、随行した公卿達は慣れない船旅に不平を言いながらも、実際に厳島を眺めると、その美しさに目を見張ったといいます。 【厳島神社の構成建物群】 本社 本社、客神社、廻廊など、海域部分に建つ建物の屋根はいずれも檜皮葺である。 本社の社殿は、奥から手前に本殿・幣殿・拝殿・祓殿の順に並ぶ。これらの社殿の平面や配置をみると、完全な左右対称形ではなく、幣殿と祓殿は本殿から見てやや西寄り(正面から見て右寄り)の位置に建っている。 また、本殿と拝殿は柱の配置が左右対称になっていない 。一般に神社建築では各柱間を等間隔にするか、正面中央の柱間を広く取るのが普通だが、厳島神社本社の本殿・拝殿では、もっとも広い柱間は西寄りの位置にあり、社殿全体の中軸線が西側に寄っている 客神社 摂社客神社は、本社と同様に本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなるが、規模は本社より小さい。その他、細部において本社とは異なる点がある。 廻廊 東西廻廊は一般の神社の廻廊のように敷地を四角く区切るものではなく、海上の各建物と陸地とを結ぶ渡り廊下の役を果たしている。 摂社、末社、附属建物 以上の国宝建築物のほか、摂社、末社、附属建物など14棟(厳密には8棟と橋3基、塔2基、鳥居1基)が重要文化財に指定されている。 本社周辺の海上に建つ建物としては、摂社大国神社本殿、摂社天神社本殿、朝座屋(あさざや)、能舞台、揚水橋(あげみずばし)、長橋、反橋があり、湾の入口付近には大鳥居がある。 厳島神社の主要な建物は海域に建つが、地上部分にもいくつかの建物がある。 本社背後の社務所近くには校倉造りの宝蔵が建つ。湾の東岸の塔岡(とうのおか)には末社豊国神社本殿と五重塔があり、丘の麓には末社荒胡子神社本殿がある。 豊国神社本殿は「千畳閣」の通称がある本瓦葺きの大建築で、もとは「大経堂」と称された。 湾の西岸には宝物館の裏手の高台に多宝塔があり、やや離れた大元浦には摂社大元神社本殿がある。 五重塔、多宝塔、豊国神社本殿などの仏教建築が今も残り、神仏習合の名残をとどめているのが厳島神社の特色である。 次回、「清盛の政治と美的感覚」
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