沖縄紀行と案内・21

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沖縄紀行(21)知念 「世界遺産・斎場御嶽」


三庫裏

御門口
斎場御嶽の主要聖地・「三庫裏」、「御門口」


世界遺産名盤
入り口の名碑と世界遺産の碑



世界遺産の斎場御嶽(せいふぁうたき)とは・・、

道路標識が「南風原」という地名を盛んに指している。
「なんぷうはら」・・?、北の方には北風原があるのかな・・?などと独り言を言ってると、ローマ字式の文字に「haebaru・はえばる」と記されている。 
「原」を「ばる」と読むことは承知していたが、「南風」は「はえ」か・・、如何にも沖縄、琉球らしい読み方である。


町並みが続く「南風原町」は那覇の隣町で6市町に囲まれており、現在沖縄県では唯一、海に面していない自治体であるとという。
王都時代には首里に隣接する地域特性から文化的な影響を直接受け、人の流入も多く首里から移住した士族によって形成された屋敷集落も多数あったという。
沖縄戦中、南風原は司令部のある首里の後方陣地として、20余の日本軍部隊が村内各地に配備されていたという。
だが、その沖縄戦によって南風原は住民の40%以上が戦死するなど壊滅的な被害を受けている。
現在は、那覇市のベッドタウンとして都市化が急速に進んでいるという。


海岸に近ずくに従って家並みも少なくなり、開放感あふれる道になっている。両脇の広い歩道には南国特有の色々な種類の街路樹が植え込んであり、目を楽しみながらのドライブである。 
気が付けば国道は331号に代わっていた、そして地域名も「南城市」となっている。だが、建物や施設名には左敷、知念といった名称が多い。 
実は、南城市(なんじょうし)は2006年1月、佐敷町、知念村、玉城村、大里村が合併して誕生した地域名であった。


国道は知念半島(・・?)沿いを巡るように延びている。 
沿岸は丘陵、山岳地となっているため、屈曲上下しながら忙しげに走るようになり、丘の上からは沖縄特有の紺碧の海が常時望まれる。
半島の東端に位置するところに、派手なモニュメントがあって「知念海洋レジャーセンター」を示している。 
そのすぐ近くに沖縄の霊場といわれる「斎場御嶽」があったので寄ることにした。


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知念岬公園を超えた先にある道を右手に入り、くねった山間の道をほんの少し上るとサッパリした無料駐車場と管理棟があった。
観光客もちらほらと見えていて、管理費用らしき賽銭ほどの料金を払って入場した。
すぐ前に、斎場御嶽(せいふぁうたき)と世界遺産の碑が迎えてくれる。

その先は、御門口(ウジョウグチ)と呼ばれる神聖な入り口があり、参道は石畳が敷かれている。 
霊場は、各神域であるウジョウグチ、大庫理(ウフグーイ)、三庫裏(サングーイ)、寄満(ユインチ)などといった参拝所がある。 

ここには社宮といった構造物は一切無く、あくまで全くが自然であり、太古(縄文期)の様式がそのまま現代に引き継がれ、残されている感じである。
中でも、斎場御嶽の中で最も見応えのあるのは三庫裏といわれる拝所で、巨大な大岩を合わせた二つの石で構成され、三角形をした洞門の奥に光が射し込んでいるその様子はここが聖域であることを実感させる。
その洞門をくぐると、そこは久高遙拝所と言い、琉球開闢に登場する「アマミキヨ」という女神が降臨したという神話の島「久高島」(くだかじま)を望むことができる。
尤も、この洞門は約1万5千年前に起った地震の断層のズレから出来たと言われているが・・。


斎場御嶽」は、様式は異なるが国内の「伊勢神宮」に喩えられる・・?、

琉球開闢(かいびゃく・天地の開けはじめ、世界のはじめ)は、「アマミキヨ」という女神が降臨したという神話の島「久高島」から始まるという。
国内においての国土開闢は、古事記によると「イザナギ」、「イザナミ」とされ、その子である「アマテラス」一族が九州・「高天原」(九州宮崎の山地)に降りて国土を形造ったとされる。 アマミキヨもアマテラスも女性の神であることも共通類似しているのである。

ところで、「斎場」の意味は我等も馴染み深い「さいじょう」のことであるが、古事に言う「斎」は、内地では「いみ」といわれ、「神事に慎むこと、心身を清浄に保ち慎むこと」とされる語であり、沖縄でも共通する意味合いを持つ。 
日本の古代の氏族の一つに「斎部」(いんべ:忌部)という、朝廷の祭祀を専門に奉仕する一族があった。
斎場(せいふぁ)は、琉球でも「心身を清浄し、神に慎むこと」なのであり、御嶽(うたき)は、神が降臨し鎮座する聖域のことを指している。


琉球は、七つの御嶽から出来上がったと伝えられ、そのうちの一つがここ「斎場御嶽」であり、その歴史から七御嶽のなかでも琉球王国最高の聖地とされて、王族以外はその神域には入れないとされていた。
併せて、御嶽は聖域として近年まで男子禁制であったともいう。

斎場御嶽では庶民は入口の「御門口」を越えて進入することは許されず、国王、主官であっても、御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったという。
今は観光地化されてメジャーになり、世界遺産として登録されてからは沖縄外からもより注目される場所となっている。 その内、観光バスがぞろぞろやって来るのだろうか・・?。今のところ、佇まいには特に変化はないように思われるが。

ところで、沖縄には現在も聖地を巡拝する行事「東御廻り(あがりうまーい)」というのがあるようで、当地はその代表的参拝地として現在も御願(うがん)に来る「おばあ」達が絶えないという。 

尤も、敬虔な「おばあ」達の御願は、世界遺産とは何の関係も無い・・!。


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知念城址:美しいアーチ型の石門



斎場御嶽の近場、現在の知念村知念集落の北西へ数百m登った標高約100mほどの丘陵に、「知念城址」があった。
自然石を野積みにした石垣で囲まれた「古城」と、その下に切石積になった「新城」の両方からなっているという。

古代・琉球の歌集に『おもろさうし』というのがあるらしい、この歌の中に古城のことを、


『 知念もりぐすく、神降り始めのぐすく、
            アマミキヨが、のだて始めのぐすく 』

と言うのがある。

「知念城は、天孫氏の御世のアマミキヨが築いたものと」と詠っているのである。 

「天孫氏」とは、琉球最初の王統で、天孫氏王統(天孫王統)と伝えられる。 
天帝の使として下界に降った女神・アマミキヨは三男二女をなし、長子及びその子孫が歴代の国王になったという伝承で、天帝の子孫にあたることから天孫氏と呼ばれる。
この辺りも、内地の天照一族の「天孫族」と極めて類似している。 

又、知念新城は琉球歴代の王朝である「尚真王」(しょうしんおう)の時代に築かれたという。 
尚真王は、三山時代の後の統一王朝、第二尚氏王朝の第3代国王(15世紀後半〜)とされている。


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