世界遺産;宮島・厳島神社 28、世界遺産;厳島神社の仮設 「平家滅亡と神社」 日本三景の一つ「厳島」(宮島)は、厳島神社を中心とした島全体をいい、 1996年、世界遺産・文化遺産に登録された。 日本三景は、他に天橋立(京都府宮津市にある砂嘴)と 松島(宮城県松島町を中心とした多島海)があるのは周知であるが、 この二箇所いずれも世界遺産登録に動いたが、 現時点では「厳島神社」以外は登録に至っていない。 日本周遊紀行 日本の世界遺産 旅の記録集 山旅の記録集 世界遺産・日光 |
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主題はブログにリンクします 28、世界遺産;厳島神社の仮設 「平家滅亡と厳島神社」 当時の宋は、 北方民族「金」(今の中国東北地区・満州)の 侵略を受けていました。 武器の確保は、宋にとって最重要課題だったのです。 清盛は、非常に優れた情報収集能力を持っていて、 当時の東アジアの情勢については ” 自分の手のひらを見るように詳しかった ” のようです。 宋が弱体化している今こそ、 平等な貿易関係を築くことが 出来る絶好のチャンスだと思っていました。 清盛は、非常に優れた戦略化であり、 偉大な外交家だったのです。 当時は、海に出ることはとても危険でした。 貿易都市として栄えた寧波。 そんな貿易に携わる人にとって 心のよりどころとなったのが、普陀山でした。 宗教都市・普陀山と貿易都市・寧波が 近くにあるという関係は、必然でした。 これは、厳島神社と福原の関係と似ています。 つまり、日宋貿易で重要な位置にあったのが、 厳島神社でした。 厳島は、日宋貿易の入口であり出口なのです。 清盛は、貿易と宗教の相乗効果を知っていたのです。 日宋貿易によって日本の国力を高め、 同時に信仰の聖地として厳島神社を築き上げたのです。 とはいえ、鎌倉幕府も貿易を念頭に置いていたので、 この厳島の修繕には力を入れていました。 平家は滅びたものの、 厳島神社に残された観音信仰そのものが機能していたので、 厳島は残ったのではないでしょうか・・? 今から800年以上前に建設された海上神殿・厳島神社。 今も輝き続けています。 そこにはまだまだ知らない謎が眠っています。 本稿、終わり、
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