世界遺産;宮島・厳島神社 21、世界遺産;厳島神社の仮設 「厳島神社は中国にモデル」 日本三景の一つ「厳島」(宮島)は、厳島神社を中心とした島全体をいい、 1996年、世界遺産・文化遺産に登録された。 日本三景は、他に天橋立(京都府宮津市にある砂嘴)と 松島(宮城県松島町を中心とした多島海)があるのは周知であるが、 この二箇所いずれも世界遺産登録に動いたが、 現時点では「厳島神社」以外は登録に至っていない。 日本周遊紀行 日本の世界遺産 旅の記録集 山旅の記録集 世界遺産・日光 |
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主題はブログにリンクします 21、世界遺産;厳島神社の仮設 「厳島神社は中国にモデル」 厳島神社の海上神殿 普陀山の海辺の洞窟 普陀山多宝塔 厳島神社は中国にモデルがあった・・! 中国南部にある普陀山。 これをモデルにして厳島神社を造ったというのです。 その根拠はどこにあるのでしょうか? 揚子江の河口にある小さな島、普陀山。 中国の人は、普陀山によくお参りにいくそうです。 普陀山には大きな観音様がたっています。 中国仏教で最も知られている観音の聖地でした。 分け隔てなく人々の祈りに応えてくれる観音信仰は、 10世紀ごろから中国に広く浸透していました。 この普陀山が厳島神社のモデル?! その証拠は厳島神社の中にあります。 清盛は神社を建てたのに、仏教の聖地をモデルにしたの? この質問こそ、厳島神社の謎を解く最大のポイントです。 本堂の真後ろ、”不明門”(あかずのもん)を見ると・・・ 清盛が壮大な夢を仮託した 観音様が安置・奉納されていたというのです。 が、今は別の場所に奉納・・・この観音像は、 厳島の中腹にある大聖院というお寺に安置されています。 大聖院は、平安時代に創建された厳島で最も古いお寺です。 そこに、十一面観音がありました。奈良時代のものと伝えられています。 清盛の時代は、神と仏が混合する神仏習合の時代だったのです。 どうして、観音様を信仰していたのでしょうか? 観音様は「抜苦与楽」( バックヨラクとは、 仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて福楽を与えることをいう)、 つまり清盛の時代は混乱の時代、 この思いを込めて祈っていたのではないでしょうか。 明治の初め、廃仏毀釈・神仏分離令によって神社から仏教的なものが分けられたので、ここ宮島も神の島でもあり、実は仏の島でもあったのです。 清盛の観音信仰は「平家納経」にも表れています。 一門が、自らの祈りを込めて写経したものです。 その冒頭には、清盛自身が記した「願文」があります。 そこには・・・ 「当社は観世音菩薩の化身なり。」とあります。 つまり、清盛が厳島神社を建てた理由は、観音への信仰だと思われます。 観音信仰が、厳島神社と普陀山を結びつけているというのです。 次回、 「厳島神社と海上神殿」
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